ゲームに歴史的背景と、そこに存在する敵を登場させるという綱渡りは、非常に難しいものです。Joystiqのあるライターは、『コール オブ デューティ ワールド・アット・ウォー』のゲームプレイを観ていた際、敵の人種構成に対する感情が強くなり、観続けることができなくなってしまいました。
筆者はゲームを見た時の体験をこう綴っている。「幼い頃、家族と共にカリフォルニアの農場からアリゾナの強制収容所へ送られた祖母のことを思い出しました。祖母の兄や義兄たちがアメリカ軍に徴兵され、誇りを持ってヨーロッパの戦争で戦ったことを思い出し、子供の頃にいじめられた時の恥ずかしさを思い出しました。今もなお残る憎しみの遺産です。」そして、彼は今後このゲームを見ることも、プレイすることもしないと述べている。これは個人の人生経験に基づく非常に個人的な意見であり、私は何の問題もない。
そしてこれを読んで、私はドローを落とした。「日本人を悪魔化することには、個人的に非常に問題があると思う。ナチスについてはそうは思わない。ナチスとドイツ人の間には、『エイリアン』と人間の隔たりと同じくらい大きな断絶があると思う。ナチスはモンスターに変貌したが、私のゲームではそれを正当化する必要はない」と彼は書いた。
素晴らしい文章ですね。ゲームでドイツ人が悪役として使われることがいかに多かったか、改めて考えさせられました。ナチ党はまさに政党でした。ドイツ人とナチスのキャラクターの間に大きな隔たりがあると言うのは、ゲームで共和党員を殺しても構わないのに、アメリカ人が悪役になるのは問題だと言うようなものです。この二つのグループは互いに排他的ではありませんでしたが、同時に互換性もありませんでした。